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ゆる民俗学ラジオ · 教育

阪神ファンが怯えた、カーネル・サンダースの呪い。#199

2026-10-04 · 29分 · 3分で読める

1985年の阪神タイガース21年ぶり優勝の夜、興奮した阪神ファンがカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込み、その後17年連続リーグ優勝逃しなどの不運が続いた「カーネル・サンダースの呪い」。番組では投棄だけでなく、その直前に行われた「胴上げ」こそが呪いの真の発動トリガーだったという仮説を、日本の民俗学における胴上げの意味—毛から晴れへのけじめ・玉振りによる霊魂活性化—から論じる。胴上げの起源を善光寺・諏訪神社・大相撲の事例でたどりつつ、柳田国男の「肩車」論も援用して呪いのメカニズムを解き明かす。

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この回が答えていること

  • カーネル・サンダースの呪いはどのように始まったのか?

    1985年10月16日の優勝夜、阪神ファンが助っ人外国人ランディ・バースの代わりに「最も近いアメリカ人」として近くのケンタッキー店からカーネル・サンダース像を担ぎ出し(制止した店員に暴行まで加えて)道頓堀川へ投げ落とした。以降17年連続優勝逃し・ドラフト不振・球団内の不幸が続き「呪い」と呼ばれた。

  • 胴上げはもともとどのような場面で行われていた儀礼なのか?

    善光寺の御越年式での堂童子引き継ぎ、埼玉・諏訪神社の獅子舞舞手の引き継ぎ、大相撲の神送りの儀式での行司の胴上げ、さらにすす払いや節分での年男の胴上げなど、神事・祭礼で「けじめをつける」ために広く行われていた。いずれも前後に引き継ぎ式やお酒の儀礼を伴う点が共通する。

  • 柳田国男は胴上げや肩車にどのような意味を見出しているか?

    柳田国男は「肩車」という論考で、神事の稚児や花嫁を肩車・馬に乗せて地面を歩かせない理由を考察した。地面に足をつけることで霊力が抜けるか土の汚れを受けるのを避けるためであり、胴上げも毛(日常)から晴れ(非日常)への移行のけじめとして地面から足を離す儀礼と位置づけた。

  • なぜ胴上げがカーネル・サンダースの呪いを引き起こしたと考えられるのか?

    群衆による胴上げによってカーネル像は「晴れの存在」に格上げされ、みこし揉みの「玉振り」論理で霊魂を活性化・付与された。その直後に川へ投げ込まれたことが、日本各地の雨乞いで神仏像を水に沈めて「怒らせる」のと同じロジックを発動させ、怒った霊力を持つカーネルが呪いの神となったと考えられる。

  • 資本主義・現代社会と呪術はなぜ相性が悪くないのか?

    競争社会では合理的な努力の後に「打てる手を打ち終えた」段階が必ず来る。AIの発展でその段階に達する速度が上がった分、人事の限界も明確になり「天命を待つ」時間が浮かび上がる。その積極的な行為が呪術であり、資本主義は呪術を打倒するどころかむしろ後押しする面を持つ。

カーネル・サンダースの呪い——事件の経緯

1985年(昭和60年)10月16日、阪神タイガースが21年ぶりにセリーグ優勝した。歓喜した大阪のファンたちは道頓堀川へ次々と飛び込み始め、「1番・真弓!」「2番・弘田!」と選手の打順を叫びながら川に身を投じた。3番は助っ人外国人のランディ・バースだったが、アメリカ人に似た風貌の人物が見当たらず、近くのケンタッキーフライドチキン店頭にあったカーネル・サンダース像が「最も近いアメリカ人」として担ぎ出された。制止しようとした店員に暴行まで加えながら像を担ぎ出し、胴上げの末に道頓堀川へ投げ落とした。

この事件の後、阪神は17年連続でリーグ優勝を逃し、ドラフト会議の不振や球団内の事故・不幸も続いた。40年近くにわたって「カーネル・サンダースの呪い」と呼ばれ続けたが、2023年に阪神が再び日本一に輝いたことで解呪されたとされる。像は2009年に道頓堀川から発見されたが、ボロボロの状態だった。

胴上げの民俗学——神事・祭礼での役割

番組では「投棄の前に行われた胴上げこそが呪いの発動トリガーだったのではないか」という仮説を提示するため、まず胴上げの歴史を辿る。

長野・善光寺では年に1回、12月第2の申の日の深夜に「御越年式」が行われる。白装束の堂童子という人物が現れ、お酒を酌み交わし歌を歌った後、堂童子をはじめとした重役をそれぞれ3回胴上げする。埼玉県深谷市の諏訪神社でも明治30年頃まで、獅子舞の舞手が全舞を終えた後に胴上げが行われ、前後に翌年の舞手を決める引き継ぎ式があった。この両社には実は繋がりがあり、神仏分離以前は善光寺の中に諏訪神社の祭神を祀る社があったことから、胴上げの慣習も諏訪信仰の流れにある可能性が指摘される。

大相撲では場所最終日に「神送りの儀式」として行司を胴上げする。土俵は神が宿る場所で、行司は場所前の土俵祭を仕切るリーダーとして神の依り代的な存在となる。その行司を天に放り投げることで、宿った神様をお送りする儀式だ。さらにすす払い(年末大掃除の原型)後や節分にも、年男を胴上げする習慣があった。吉川弘文館刊『日本民俗大辞典』はこうした事例を踏まえ「けじめをつける意味合いを持って胴上げが行われた例はいとまがない」と解説している。

柳田国男の「肩車」論と玉振り仮説

民俗学者・柳田国男は「肩車」という論考で、神事の稚児や花嫁をなぜ肩車や馬に乗せて地面を歩かせないのかを考察した。地面に足をつけることで霊力が抜け出すか、土の汚れを受けてしまうことを避けるためだという。肩車の類例として手車(2人で組んだ手に1人を乗せる)、さらに胴上げを挙げ、いずれも「地面から足を離すことで毛(日常)から晴れ(非日常)へのけじめをつける儀礼」と位置づける。

番組ではこれに加え、みこしを揺さぶる「みこし揉み」の「玉振り」論を援用した独自仮説が提示された。玉振りとはみこしに宿る霊魂に物理的刺激を与えて活性化させることを指す。胴上げで人を揺さぶる動作も同様に、その人物の霊魂を活性化させる玉振りとして機能し、祝福や霊力の充填につながると考えられるという。

カーネルが「呪いの神」になったメカニズム

以上を踏まえた仮説の核心はこうだ。道頓堀川に投げ込まれる前、カーネル・サンダース像は群衆に胴上げされていた。この胴上げによって、本来霊魂を持たない像が「晴れの存在」に格上げされ、玉振りによって霊力を付与された。

その直後、像は川へ投げ込まれた。日本各地では神仏の像を水に沈めることで「雨乞い」をする習俗がある。このロジックは「神仏に無礼を働いて怒らせ、天変地異を引き起こさせる」というものだ。2025年には山形県でかつての習俗を復活させ、観音像を池に沈めたところ実際に雨が降ったという報告もある。

胴上げで霊力を付与されたカーネルが水に投げ込まれたことで、怒った「呪いの神」として機能した——これが番組の仮説だ。胴上げなしにそのまま投棄していたなら、霊魂を持たない像として呪いもここまで長引かなかったかもしれないという。2023年に呪いが解けたのは、発見から供養まで経て怒りのエネルギーが回収されるのにそれだけの時間がかかったためと説明される。

資本主義と呪術——現代でも呪いは生きている

最後に番組は現代社会と呪術の関係を論じる。近代化が世界から闇を奪い妖怪・幽霊を減らしたという言説があるが、資本主義と呪術の相性は実は悪くない。競争社会では合理的な努力が要求されるが、打てる手を打ち終えた後は「天命を待つ」しかない時間が生まれる。AIの発展によって「人事を尽くす」速度が上がった分、その限界も明確に浮かび上がり、天命を積極的に待つ行為——すなわち呪術——の出番がむしろ増えるかもしれない。呪術は前近代の遺物ではなく、不確実性と向き合う人間の営みとして現代も機能し続けている。

この回の要点

  • 胴上げはもともと善光寺・諏訪神社・大相撲などの神事で「毛(日常)から晴れ(非日常)への移行のけじめ」として行われた儀礼で、前後に引き継ぎ式を伴う点が各地で共通している。
  • カーネル・サンダース像への胴上げが玉振りとして霊力を付与し、その直後の道頓堀川への投棄が「神仏を怒らせる雨乞いロジック」を発動させたという仮説が提示された。投棄前の胴上げこそが呪いの核心だという新解釈。
  • AIの発展で「人事を尽くす」速度が増すほど人事の限界も明確になり、天命を待つための積極的行為=呪術の出番が増えるという逆説から、現代社会でも呪術は生き続けると論じた。

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この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。