ペーパードライブ【読書・哲学】いまは日本チャートの100位圏外です
せんそうって?
哲学者・永井玲の新刊——文芸誌『群像』に2024年7月号から2026年7月号まで連載されたエッセイを書籍化——の読書会回。沖縄のガマ訪問で受けた衝撃、「平和に感謝する」という言葉が戦争への問いをどう閉じてしまうか、「犠牲」という語の欺瞞、平和教育の萎縮を三人が語り合う。
この回が答えていること
永井玲の新刊はどんな本で、なぜ帯に『ドキュメンタリー』と書かれているのか?
群像2024年7月号から2026年7月号まで連載されたエッセイを書籍化したもの。写真家・八木崎との共同制作で、一人称の主観カメラに頼らず複数の視点を分散させる構成が「ドキュメンタリー」と呼ばれる所以。大島は本を閉じて帯を読んで初めて納得したと語った。
沖縄のガマを訪れた体験から、永井は何を問い直したのか?
強制集団死の現場に立てられた「人が住んでいるのでお静かにお願いします」という看板に衝撃を受けた。沖縄が「人間の住んでいる島」であるという原点から出発しなければ、戦争を数字や国家の話で終わらせてしまうという確信を得た。
なぜ『平和に感謝する』という言葉は戦争を考えることを妨げるのか?
「感謝する」という答えを出した瞬間に居心地の悪さや苦しむことを手放してしまうからだ。問いに答えることで思考が停止し、「尊い犠牲」論や防衛費増強など歴史を正当化する言説へと滑り込む温床になると指摘される。
「犠牲」という言葉のどこに問題があるのか?
「犠牲」には何かと引き換えに捧げたというニュアンスがあるが、戦争での死はなければよかった死であり誰かのために差し出された供物ではないからだ。「犠牲」と呼ぶことで、その死を引き起こした責任の問いが封じられてしまう。
現在の平和教育はどのような困難に直面しており、大人はどうすればいいのか?
教科書への政治介入(強制集団死の記述削除など)が続き、平和教育自体が「政治的偏り」と批判されて萎縮している。ただし大人になってからでも現地訪問・対話・問いを持ち続けることはできると永井は語る。
永井玲の新刊——構造そのものが表現
哲学者・永井玲の新刊が、文芸誌『群像』2024年7月号から2026年7月号まで連載されたエッセイを書籍化したものとして刊行された。写真家・八木崎との共同制作で、八木崎の写真は文章の説明として散りばめるのではなく、最終章「生きている」の直前にまとめて収録されている。紙の種類まで変えることで視覚的にも区別され、大島はその構成を「マカロンの断面みたい」と表現した。
表紙は八木崎がガラス玉を吊り下げて撮影したもので、日常の中に穴が開いたような構図。戦争による分断やミサイルを連想させる「怖い穴」だが、裏表紙では同じモチーフが180度異なる意味を帯びる。大島は本を読み終えて帯の「ドキュメンタリー」という言葉に初めて気づき衝撃を受けたと語った。語り手の一人称カメラで一貫させるのが本の王道だが、この作品は視点が複数の人物に分散される——それが「ドキュメンタリー的」であり、同時に文芸的な構造の工夫でもある。
「人が住んでいるのでお静かにお願いします」
永井は取材で沖縄のガマ(自然壕)を訪れた。旧日本軍によって強いられた強制集団死の現場は団地の裏手にあり、そこには「人が住んでいるのでお静かにお願いします」という看板が立っていた。学ぼうとする善意の人々が大声で訪れることへの違和感、本土からリゾート地か基地問題の教材としてしか扱われない沖縄の現実——「ここには人間がいます」という事実こそが出発点だと永井は確信した。
本の70ページに引用された写真集『人間の住んでいる島』の言葉——「かつても今もこれからも沖縄は人間の住んでいる島なのだ」——がその核心を言い当てている。入れないガマもあり、そこは亡くなった方々が地面にいるため人に踏まれたくないという理由からだった。実際に入ったガマの中(72ページ)で地面を手で触れた永井は、「ここなら人が死んでいない」と脳裏でつぶやいた自分に気づき、その問い自体の異様さに貫かれる——それが「カポリカポリ」とゆっくりになる体験として書かれている。
問いに答えてはいけない
西川は毎年終戦の日・原爆の日のラジオ放送で、何十年もキャリアを積んだパーソナリティが言葉を失う場面を見てきた。その理由が本の中にあったと言う。115ページ「試されているのは聞き手の方なのだ」——語り手の伝え方を責めるより、聞く側こそ問われているという視点だ。俳優の宝田明がゲスト出演時に戦時体験を語った際、制作側の意図でなく話の流れで自然に生まれ、それが電波を通じて多くの人に届いた体験が、西川の中で「聞くこと」という答えに結びついた。
135ページでは「問いとは抵抗である」と記される。「尊い犠牲だった」「今の平和はあなたのおかげ」といった言葉は答えに見えて、居心地の悪さも苦しむことも手放させてしまう。小学校以来の「平和に感謝しましょう」教育が、感謝→戦った人への感謝→防衛費増強という歪んだ論理を内面化させてきた、と大島は語った。
「犠牲」という言葉が封じるもの
大島は「犠牲」という言葉への長年の違和感を語った。犠牲とは本来、何かと引き換えに捧げる供物を意味する。しかし戦争での死も交通事故での死も、なければよかった死であり、誰かのために差し出されたわけではない。「平和と引き換えに犠牲になった」と表現することで、その死を引き起こした責任の問いが封じられる。「原爆が落ちました」という受動形も同様で、落としたのはアメリカであり、広島が軍都だったという文脈が消える——言葉遣いの無自覚な積み重ねが歴史認識を静かに歪めていくと三人は確認し合った。
平和教育の萎縮と、今からでもできること
強制集団死に関する教科書記述の削除など、平和教育への政治介入は続いている。「政治的偏り」という眼差しに晒され現場は萎縮し、教育を受け終えた大人が軸を持てないまま問い直しを始められない悪循環が生じている。
しかし永井は「大人になってからでもできる」と繰り返す。現地を訪れること、対話すること、問いを保ち続けること。後書きには「この連載は何かを言おうとしているのだがうまくいっていない、言葉たちは焦っていて浅瀬で溺れている」とある——答えが出ていないことをそのまま差し出す誠実さそのものが、この本の姿勢だ。
この回の要点
- 「平和に感謝する」という答えは思考を停止させ、戦争の責任を不問にする。問いを保ち続けることこそが抵抗であり、答えてはいけない問いがある。
- 「犠牲」という語は死を「引き換え」にすり替え、加害性の問いを封じる。「原爆が落ちた」という受動形と同様、無自覚な言葉遣いが歴史認識を歪める。
- 平和教育は政治介入で萎縮しているが、大人になってからでも現地訪問・対話・問いを持つことはできる。諦めずに「今できる」と永井は語る。
この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。