#81【ダウ蓮見×松尾スズキ】演劇もお笑いもおじさんドーナツ
松尾スズキ(大人計画)が29歳の蓮見(ダウ)と対話し、演劇・お笑い双方で世代の真ん中が空洞になっている「おじさんドーナツ」問題を語り合う回。松尾がコクーンアクターズスタジオを設立した経緯、大人計画の草創期メンバーの集め方、40歳頃に爆笑問題の番組レギュラーで味わった苦い経験まで、30分にわたって赤裸々に明かす。
この回が答えていること
松尾スズキがコクーンアクターズスタジオを作った理由と経緯は何か?
演劇界の若手不在への危機感から、Bunkamura芸術監督就任の条件としてスタジオ設置を要求した。コロナ禍で施設が空いたことで実現し、現在4期目・約20人を育成中。卒業公演には必ず松尾の書き下ろし台本を使う「別邸」という公演も始まっている。
「おじさんドーナツ」とはどのような状況を指す造語か?
松尾が命名したワード。演劇・お笑い両界でベテランが外縁を占め、若い世代がすっぽり抜けている状態。蓮見が29歳で次の芸人世代は40歳前後と約11歳の断絶があり、ドーナツの「穴」に若手がいない状況を指す。
大人計画の初期メンバーはどうやって集まったのか?
劇場への張り紙、情報誌「ぴあ」の募集コーナー、オーディション、テレビ番組「冗談画報」への出演がきっかけ。阿部サダヲは20歳のトラック運転手として入団し、別の主要メンバーは日本芸術大の落ちこぼれ学生がチラシを見て来た。
松尾スズキはバラエティ番組レギュラー経験をどう振り返っているか?
40歳頃に爆笑問題の番組『爆点』の文化人枠として半年出演。芸人陣のトークスピードについていけず「言葉の光が飛び交う中でぼんやり影を浴びているだけ」と表現し、映画撮影との兼業限界で降板した。
演劇人がテレビで苦労しやすい構造的な理由は何だと語られたか?
お笑いライブでは毎回異なる芸人と「平場」を経験し話す技術が磨かれるが、演劇は基本的に自分たちだけで完結するため外部との会話技術が育ちにくい、と蓮見が指摘。松尾もその分析に同意した。
岸田戯曲賞をめぐる雑談
冒頭、松尾が「録画してゴッドタウンと水曜日のダウンタウンを見るようにしている」と明かし、互いに相手の存在を知っていたことを確認するところから始まる。話はすぐに岸田国士戯曲賞へ。現在の賞金は30万円で、松尾が受賞した頃は20万円だった。主催する白水社はフランス文学専門の出版社で、フランス文学の不振から一時は廃止が検討されたが、支援企業が現れて存続した。「もっと感謝しなきゃダメですね」と松尾は苦笑する。
松尾が受賞したのは第41回、「ファンキー」という本田劇場での公演。当時は年に3本の新作を書いていた多産期で、『マシン日記』『ドライブイン・カリフォルニア』といった作品が並んだ。蓮見が今29歳で受賞年から29年経っていると気づき「若っ」と驚く。チケット代も当時は1本4000円ほどで、現在ダウが8000円でやっていると話すと「高いみたいになるな、何十年のあいだに木材も高くなってるし」と松尾が笑う。
演劇界の「おじさんドーナツ」
「演劇界が空洞化しておじさんの宇宙になっている——おじさんドーナツなのよ」と松尾が切り出す。ケラリーノ・サンドロヴィッチの劇団も、野田秀樹のところも、長塚圭史と一緒にやってきた人たちも、みんな中年以降になってきている。大人計画でも阿部サダヲが55〜56歳になり、若手の補充が止まっている状態だ。
お笑い界も同様と蓮見は言う。29歳の自分の次は40歳前後で、約11歳の断絶がある。「真ん中がちょうどいない」。松尾はプロデューサーたちに怒られるのを承知で、この言葉でずっと警鐘を鳴らしてきたという。蓮見のことをコラムに「テレビでの振る舞いが慣れていて悔しい」と書いたとも明かし、「あなたみたいな人が現れてくれて本当に嬉しい」と率直に伝えた。
コクーンアクターズスタジオ誕生の経緯
渋谷・BunkamuraからBunkamuraシアターコクーンの芸術監督就任を打診された際、松尾は「アクターズスタジオを作らせてくれ」を条件にした。理由はシンプルで、「演劇を踏み台にしてステップアップしていく若者ではなく、演劇にリスペクトを持った仲間と一緒にやりたい」からだ。芸能事務所からキャストを調達し続けることへの悔しさが長年あったという。
コロナ禍でBunkamuraの施設がほぼ空になったことが後押しになった。地下には山下達郎も録音に訪れるような広大なスタジオがあり、様々な講師を呼んで授業を行っている。現在4期目、生徒は約20人。「20人はちょっと多い」と松尾は苦笑するが、卒業公演では全員が一つの舞台に集まるため目は届く。卒業公演には必ず松尾の書き下ろし台本を用いる「別邸」という公演があり、すでに2本を書いた。「生活に余裕ができた年取ってからできることだな、と思います。若い頃は一本書いたらいくらくれよって言ってたから」と本音も漏らした。
大人計画の草創期
当初の大人計画はほぼサークルで、来た人が残ったような形だったと松尾は振り返る。メンバーの集め方は、劇場への張り紙、情報誌「ぴあ」の募集コーナー、オーディション、そしてテレビ番組「冗談画報」への出演などだった。「冗談画報」はかつての番組で、劇団がコントを発表できる場だった。蓮見が「知らない」と言うと、「知るわけないもん」と松尾はあっさり返す。
阿部サダヲは20歳のトラック運転手として入団し、別の主要メンバーは日本芸術大学の落ちこぼれ学生がチラシを見てやってきたという。「みんな最初は若手だった。俺だけが年を取ってきたんだよ」。
松尾スズキとバラエティ——「光の影を浴びるだけ」
40歳頃、爆笑問題の番組『爆点』の初期レギュラーとして半年出演した。文化人枠の3席のひとつにビビアン・スーと「深川さん」が並んだ。爆笑問題の二人が仕切る中、芸人陣の速いトークに全くついていけず、「マトリックスみたいに言葉の光がタタタタタって飛び交っている中で、俺だけ実像も掴めないままぼんやり影を浴びている」と表現した。映画撮影との兼業が限界となり半年で降板。その後HGブームで番組が跳ねたため、「出といてよかったなとみんなに思われてたと思う」と苦笑した。
テレビについて松尾は持論を展開する。「昔は大杉漣さんのようなバラエティの達人ではない人がキョトンといることでメリハリが生まれていた。今は全員が話し上手でないといけない雰囲気になっている」。蓮見はそこに、演劇人がバラエティで苦労しやすい構造的な理由を見出す。お笑いライブでは毎回異なる芸人と「平場」を経験し、外部と話す技術が自然に育つ。対して演劇は基本的に自分たちだけで完結するため、外部との会話技術が一切伸びない。「それでテレビに出て順応しろって言われても難しい。普段やってないことなんだから、許してあげてほしい」と蓮見は演劇人を擁護した。
この回の要点
- 松尾スズキは演劇界の若手空洞化への危機感から、Bunkamura芸術監督就任の条件にコクーンアクターズスタジオ設置を要求し、卒業生向けに自ら新作を書き続けている。
- 演劇もお笑いも「おじさんドーナツ」状態で、ベテランと若い世代のあいだに大きな穴があり、29歳の蓮見のような存在の出現を松尾は切実に歓迎している。
- 爆笑問題の番組で「光の影をぼんやり浴びるだけ」だったという松尾の経験が示すように、演劇人がバラエティで苦労するのは平場の鍛錬機会がない構造的な問題だと二人は分析した。
この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。