ポッドキャストクラブJapan Podcast Guide English

Hot Entry! 最新回のゲストは Rol3ert。英語でじっくり語る最新回

ゆる哲学ラジオ · 社会/文化

ショート動画は、なぜ満たされない? #194

2026-10-10 · 31分 · 3分で読める

ショート動画を見続けても満たされないのはなぜか——國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』を軸に、「ドパガキ(ドーパミン刺激中毒のガキ)」という造語を入口として議論が始まる。暇と退屈の違い、近代に余暇が「産業に囲い込まれた」経緯、そして人間が本能的に退屈してしまう理由を哲学的に掘り下げる回。

この回を聴く 番組ページへ

この回が答えていること

  • ショート動画を見ても満足できないのはなぜか?

    ショート動画は「暇を潰すため」に見るものであり、動画を見ること自体が目的ではない。ミツバチのお腹に穴を開けて蜜を吸わせ続ける実験のように、満たされないまま消費が続き退屈は解消されない。目が死んだままスワイプを繰り返す状態がその表れだ。

  • 「暇」と「退屈」はどう違うのか?

    暇はやることがない空き時間、退屈はそれをつまらなく感じる主観的な状態。暇がなくても退屈することはある。立食パーティーの場や、チェロが弾きたいのにITエンジニアをしていた時期がその例として挙げられる。

  • 人間はなぜ本能的に退屈してしまうのか?

    人間は「環世界」を自在に移り変えられる唯一の生き物であり、同じ環世界に留まり続けることに耐えられなくなるから。パスカルは「人間の不幸は一つの部屋でじっとしていられないことから来る」と述べており、退屈は生き物としての本能だと本書は論じる。

  • 近代社会で「余暇」はどのように生まれ、資本に囲い込まれたのか?

    近代に労働形態が変わり休日が生まれたが、休み方を知らない労働者にレジャー産業が目をつけた。フォードは労働者に休日と賃上げを与えたが目的は自社の車を買わせ宣伝させるためだった。消費社会では供給が先にあり、欲望は産業によって作り出される。

  • 「暇だけど退屈しない」状態はどうすれば実現できるのか?

    「暇で、かつ退屈しない」状態——時間はあるが心が満たされている——を目指すべきだと本書は示唆する。チェロに没頭する時間がその近似例として挙げられるが、具体的な方法は本書を読んで確かめてほしいと締めくくられる。

「ドパガキ」とは何か

「ドパガキ」とは、ドーパミン刺激の中毒になっているガキを略した造語(DPGK)。短い間隔で刺激が来ないと満足できない状態の人を指す。ショート動画をスワイプし続けるだけでなく、タブレットを2枚同時に使い上画面でゲーム・下画面でYouTubeを流すおじさんが電車内で目撃されたエピソードも紹介される。パーソナリティの浦下くん自身も暇があればチェロのビブラート練習をしたり、スマホゲームをしながら動画を流したりしていると指摘され、「ドパガキ」認定される一幕も。

「暇」と「退屈」は別物

今回の軸になる本は國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』。暇は単にやることがない空き時間、退屈はそれをつまらなく感じる主観的な状態であり、二つは別物だ。暇がなくても退屈することはある——200人規模の立食パーティーで名刺交換や気配りに追われながら「忙しいのになぜか退屈だった」という経験や、チェロを弾きたい一心でエンジニアを選んだ9ヶ月間、仕事はあるが心が躍らなかった時期がその例として挙げられる。

ショート動画の問題もここに核心がある。本書で紹介されるミツバチの実験が象徴的だ——お腹に穴を開けて飲んだ蜜がすべて外に出てしまうミツバチは、タンクが満たされないのでひたすら吸い続ける。ショート動画を延々とスワイプする状態はこれと同じで、満たされないまま退屈が続く。目が死んだままスクロールしている表情がそれを物語っている。

退屈は人間の本能——パスカルと環世界

哲学者パスカルは「人間の不幸は、一つの部屋でじっとしていられないことから来る」と述べた。本書はウサギ狩りの例を使って退屈の本質を説明する。狩りに行こうとしている人に「ウサギをあげる」と言っても喜ばない——人がウサギ狩りに出かけるのはウサギが欲しいからではなく、退屈に耐えられないからだ。

さらに本書は「環世界」という概念を導入する。生き物にはそれぞれ固有の時間が流れており、魚やハエは人間よりもはるかに細かい時間を生きているため、人間の動きがスローモーションに見える。映画のフィルムが黒い画面を挟んで静止画を連続させているのに人間は気づかないが、魚が見るとカクカクして見えるはずだ。人間は自分の環世界にとどまらず他者の環世界を想像し移り変えることができる。この能力こそが退屈を生む——同じ環世界に留まり続けることに耐えられなくなるのだ。

余暇の誕生と資本への囲い込み

かつて暇はステータスだった。何もしなくても食べていける有閑階級はポロや狩猟で暇を享受した。一方、農民は常に働き続け、年貢を取られ、暇な時間はほぼなかった。近代になり労働形態が変わると「休日」という概念が生まれるが、労働者は休み方を知らなかった。そこに目をつけたのがレジャー産業だ。遊園地、デパート、万博——働いて稼いだ時間とお金が産業に吸い上げられる構造が生まれた。

フォードの事例も紹介される。フォードは労働者に休日を与え賃金を上げたが、その目的は自社の車を買えるようにするためだった。車で旅行に出れば宣伝にもなる。休日も賃上げも、すべて会社の利益に還流する設計だった。消費社会では需要より先に供給が存在し、欲望は産業によって作り出される。TikTokでシュラスコの動画が流れてきて「食いたい」と思う感覚も、作られた欲望の一例だ。ドパガキとは消費社会と情報化社会が合体した極限の産物であり、「なるべくしてなった存在」だと語られる。

目指す状態は「暇で、退屈しない」

暇と退屈の組み合わせは4通りある。①暇で退屈、②暇だが退屈しない、③忙しいが退屈、④忙しくて退屈しない。チェロを弾いている浦下くんは④の没頭状態で退屈しない。ショート動画を漫然とスワイプするのは①の状態を抜け出せていない。問題の本質は、ショート動画を「見るために時間を使う」のではなく「時間を使うためにショート動画を見ている」点にある。目的と手段が逆転しているのだ。

理想は②——時間はあるが心が満たされている状態。「労働者よ、暇を取り戻せ」というのが本書のスローガンとして紹介される。退屈のない生活への具体的な処方は本書に委ねられており、二人は「暇を取ってこの本を読んでほしい」と締めくくる。

この回の要点

  • ショート動画を見ても満たされないのは、それが「暇を潰すため」であり目的がなく、退屈が解消されないまま消費が続くから。
  • 「暇」と「退屈」は別物であり、人間は環世界を移り変える能力ゆえに本能的に退屈する生き物だとパスカルも指摘している。
  • 近代の「余暇」はフォードやレジャー産業によって消費へ囲い込まれており、ドパガキは消費社会と情報化社会が合体した必然の産物だ。

哲学ショート動画退屈消費社会依存

この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。