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あんまり役に立たない日本史 · 歴史

#201「河上彦斎」

2026-10-23 · 16分 · 3分で読める

幕末四大人斬りの一人・河上彦斎は、身長150センチの小柄な体格から独自の逆袈裟斬りを編み出し、尊王攘夷の信念のもとに暗殺を実行した。アニメ・漫画「るろうに剣心」主人公・緋村剣心のモデルとして知られるその生涯は、志のために死を選んだ38年の物語だ。

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この回が答えていること

  • 河上彦斎はなぜ人斬りになったのか?

    過激な倒幕・攘夷思想を持つ師たちのもとで学び、20歳の時に江戸でペリー来航後の欧米進出を目の当たりにしたことが転機となった。「日本が植民地にされる」という強い危機感から攘夷思想を過激化させ、誰かの命令ではなく自らの意思で「考えが合わない相手」を暗殺するようになった。

  • 「るろうに剣心」の緋村剣心のモデルといわれる根拠は何か?

    身長150センチほどの小柄な体格と女性のような風貌、そして我流で編み出した「逆袈裟斬り」(深く沈み込んで地を這うように刀を抜き上げる独自の抜刀術)がモデルの根拠だ。普段は礼儀正しく仲間思いな優しさと恐ろしい冷徹さを持ち合わせた二面性も剣心と重なる。

  • 彦斎が唯一記録に残る暗殺対象・佐久間象山とはどんな人物で、その暗殺は彦斎にどう影響したか?

    勝海舟や吉田松陰の師匠格とされる開国派の第一人者。実際には一度開国して西洋技術を取り入れ国力を高めたうえで攘夷を実現しようとした人物だった。白昼堂々の暗殺後、彦斎は「全身の毛が逆立つような感覚」を覚え、以後ぴたりと人斬りをやめた。

  • 明治維新後、彦斎はどのような最期を迎えたか?

    出獄すると攘夷とは真逆の開国国家が完成していた。かつての同志・大楽源太郎をかくまったことを口実に再逮捕され、新政府にとって邪魔な存在として死罪を言い渡された。「志を捨てれば助かる」という説得を拒否し、38歳で斬首された。

  • 幕末四大人斬りとは誰を指すのか?

    土佐の岡田以蔵、薩摩の中村半次郎、田中新兵衛、そして肥後熊本の河上彦斎の4人を指す。幕末に横行した幕府要人や外国人を標的とした暗殺事件の中で暗躍した人斬りの代表格とされている。

幕末四大人斬りと河上彦斎

幕末、幕府要人や外国人を狙ったテロ事件が相次ぐなかで暗躍したのが「人斬り」と呼ばれる暗殺者たちだ。なかでも特に知られるのが「幕末四大人斬り」と称される四人——土佐の岡田以蔵、薩摩の中村半次郎、田中新兵衛、そして肥後熊本の河上彦斎である。今回はその一人、河上彦斎を取り上げる。

国を思う気持ちが強すぎた男

彦斎は肥後熊本の下級藩士の次男として生まれた。次男のため家を継ぐ立場になく、同じく下級藩士の川上家に養子に入る。16歳で藩主の身の回りの雑用をする茶坊主として働き始め、掃除係から頭角を現して殿様の側近的な立場にまで出世した。

学問にも熱心で複数の師に師事するなか、尊王攘夷の思想にのめり込んでいく。師たちは過激な倒幕思想を持つ人物が多く、後に池田屋事件で命を落とす宮部鼎蔵などもその中にいた。転機となったのは彦斎が20歳のとき。藩主に随行して江戸に出張した時期は、ちょうどペリー来航と日米和親条約締結のころだ。欧米の進出を目の当たりにした彦斎は「このままでは日本は植民地にされる」と確信し、攘夷思想はより過激なものへと変わっていく。

一般的に人斬りとは、腕は立つが思想は薄く頭の良い人間の命令で動く「暗殺マシーン」のイメージがある。しかし彦斎のすごいところは、自分の中に確固とした思想があり、誰かの指示ではなく自らの意思で考えが合わない相手を暗殺するようになっていった点だ。

「るろうに剣心」緋村剣心のモデルとなった剣技と人物像

彦斎の身長は150センチほどで、見た目は女性のようだったとも伝わる。この小柄な体格を生かすために編み出した独自の剣術が「逆袈裟斬り」だ。刀を鞘に収めたまま陸上競技のクラウチングスタートのように深く沈み込み、体を伸び上がらせると同時に刀を抜いて相手の脇腹から斜め上へ切り上げる。地を這うように刀が迫ってくるため、初見ではなかなか防ぎにくい攻撃だった。彦斎はこの型を我流で編み出したという。

小柄な体格、女性のような風貌、地を這う抜刀術——これらの要素からモデルとして生まれたのが、アニメ・漫画「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心だ。彦斎はアニメの剣心同様、普段は丁寧で礼儀正しく家族や仲間思いの優しい人物だったと伝わっている。

一方で恐ろしいほどの冷徹さも持ち合わせていた。仲間と酒を飲んでいる最中、ある幕府役人の話題が出ると彦斎はすっと立ち上がり無言で部屋を出る。しばらくして戻ってきた手にはその役人の首があり、「これを肴に飲み直しましょう」と生首を横に置いて酒を続けたという逸話が残る。また勝海舟から「人を切りすぎだ、かわいそうとは思わないか」と問われた際には「畑のナスやキュウリも頃合いになれば収穫するでしょう。同じことです」と答えたと伝わっている。

佐久間象山の暗殺と人斬りの終焉

彦斎が唯一記録に残る暗殺を行ったのが、開国派の第一人者・佐久間象山だ。勝海舟や吉田松陰の師匠格にあたる人物で、彦斎にとっては攘夷の真逆を行く敵だった。彦斎は白昼堂々この佐久間象山を襲撃して斬り捨てた。

しかし彦斎はこの暗殺を最後に、ぴたりと人斬りをやめる。後に彦斎は「象山を斬ったとき、その豪傑さを感じて全身の毛が逆立つような感覚に襲われた」と語っている。実際、佐久間象山は開国を主張していたとはいえ、幕府と朝廷が協力して開国し西洋の技術を取り入れて国を強化したうえで欧米の侵略を防ごうという、大局的には攘夷を実現しようとしていた人物だった。たくさんの人を斬ってきたからこそ、象山を斬った瞬間に「この人は何か違う」と感じ取ったのかもしれない。

明治の世に消えた志士の最期

人斬りをやめた彦斎は長州と行動を共にし、幕府との戦いに参加する。しかし地元・熊本藩が幕府側についたため、家族や同士を傷つけることを避けようと帰郷する。だが彦斎は脱藩してテロ行為を繰り返した罪人であり、あっさりと捕らえられ投獄された。収監から1年半後に出獄すると、世の中はすっかり変わっていた。幕府は倒れ明治維新がなされていたが、彦斎が命を懸けて目指した「攘夷」とは真逆の、開国して西洋文化を取り入れた国が生まれていた。彦斎が「話が違う」と声を上げても、新政府の面々は誰も耳を傾けなかった。

そんな頃、かつての同志・大楽源太郎が訪ねてくる。大楽は長州の大物・大村益次郎を暗殺して追われている身だった。彦斎は昔の縁でかくまったが、それが発覚して再び捕縛される。新政府の要人たちにとって時代遅れの攘夷論を唱え続ける彦斎は邪魔な存在であり、様々な罪をでっち上げたうえで死罪が言い渡された。

担当裁判官はかつての同志だった。「上位の思想さえ捨てれば命だけは助かる」と説得を試みたが、彦斎は「神に誓い仲間と約束した志を、命を守るために捨てることはできない。尊王攘夷のために死んでいった仲間に申し訳が立たない」と拒否し、38歳の若さで斬首されその生涯を終えた。

この回の要点

  • 河上彦斎は幕末四大人斬りの一人で、身長150センチの小柄な体格と我流の逆袈裟斬りが「るろうに剣心」緋村剣心のモデルとなった。
  • 唯一記録に残る暗殺対象・佐久間象山を斬った直後に人斬りをやめ、「全身の毛が逆立つ感覚」を覚えたと後に語っている。
  • 明治維新後も尊王攘夷の志を捨てず、命が助かる道を自ら拒否して38歳で斬首された。

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この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。