# しずるとあの頃のよしもとの記憶を呼び起こそう! - Show: イースト駅前クリニック presents 川島明のねごと - Published: 2026-10-25 - Canonical: https://podc.club/episode/1616790646_8657050ec993.html - Audio: https://pdst.fm/e/pscrb.fm/rss/p/traffic.megaphone.fm/TBS5264856737.mp3 - Source: この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。 川島明がしずる(潤・池田)をゲストに招き、ネットに記録がほぼ残っていない2004〜2011年ごろの「東京吉本の暗黒時代」を証言で掘り起こす。吉本面白水族館・吉本ゲームアミュージアム・新宿セブンキャンプシアター・吉本プリンスシアター・ダイナマイトバカソウルといった伝説的プロジェクトの実態が次々と語られ、無限大ホールのあげあげライブブームからM1主義への転換までが当事者の記憶として記録される。 ## この回が答えていること ### 吉本面白水族館の水中漫才コーナーではどんな珍事が起きたのか? フルーツポンチのトモが薄毛を隠すため固めたジェルが水中で溶け出し、ポケットからソーセージを出して頭に塗りイワシで隠したが、別の魚がそのイワシを食べてしまい漫才より魚に注目が集まったという伝説が語られた。 ### 吉本ゲームアミュージアムのギャグライドとはどんな労働環境だったのか? 原西さんを筆頭にギャグ芸人が30分ごとに来場客の前でギャグを披露し続け、控室に戻っても食事にも行けない過酷な環境だった。「本日中止」の連絡が来るとみんなでガッツポーズして食事に出かけた。 ### 新宿セブンキャンプシアターの「5メートル矢倉」は何が問題だったのか? 高さ約5メートルの矢倉の上でネタをやると客が真上を見上げる形になり全く笑えない構造だった。ザ・パンチによれば登場の「どーぼぼぼ」もはしごを登る段階で客にバレバレ。スタッフが一晩かけてのこぎりで矢倉を半分の高さに切り下げた。 ### 吉本プリンスシアターはどんな雰囲気の劇場で、何が生まれた場所だったのか? タキシードの司会者が「ステージマーショー、どうでしょう」と進行するカジノのコメディショー風の劇場で、川島は「ジャジーでムーディ」と形容した。「おにいやん」という呼称もこの劇場から生まれたと川島は証言した。 ### あげあげライブのブームはなぜ終わり、芸人たちはその後どう動いたのか? 会社判断でしずる・ハンニャ・フルーツポンチが強制卒業させられルミネへ移行。その後M1重視の風潮が強まり、ザ・パンチは早々に別路線へ、ピースは新ネタ投下の場として劇場を割り切り、吉村はタレント路線へと早期転換した。 ## 本文 ## 吉本面白水族館(2004年〜、横浜中華街) 2004年に横浜中華街でオープンしたテーマパーク型水族館で、さかなくんが記者会見に登場したことでも知られる。見どころのひとつが水中漫才コーナー。フルーツポンチのトモが薄毛を隠すためジェルで固めた髪が水中で溶け出し、ポケットからソーセージを取り出して頭に塗り、イワシで覆って乗り切ろうとしたが、別の魚がそのイワシを食べてしまい、漫才よりも魚に注目が集まったという伝説が語られた。川島は「スイミーみたいな展開」と表現した。しずるの2人は結局この水族館に行ったことがなく、噂として聞いていたという。 ## 吉本ゲームアミュージアム(2006年、秋島森タウン内) 吉本がゲームセンター自体を運営した施設で、目玉は「ギャグライド」。原西さんを筆頭にギャグ芸人が30分ごとに来場客の前でネタを披露し続けた。控室に戻っても30分後にはまた客が来るため食事にも行けず、「本日中止」の連絡が来るとみんなでガッツポーズして食事に出かけたという。夏にはトロッコに座布団を乗せた「階段話」の出し物もあり、オチになると周囲の芸人がトロッコを叩いて客を驚かす趣向だったが「中学校の文化祭の演劇みたい」と振り返られた。しずるは1回だけ訪れてショートコントを披露した。 ## 新宿セブンキャンプシアターと5メートル矢倉(大久保公園) 大久保公園に巨大な特製テントを張り49日間限定で開催された劇場。関谷清さんの都市伝説トークが毎回オープニングを飾り、当時はまだセンセーショナルな存在感があった。近隣が歌舞伎町だったため、コント中に実在する人物と思われる名前を使った芸人・縁日(メンバーにアイパー滝沢ら)の出番時だけフルスモークの車が現れるという事態が発生し、縁日の出番が削られた。最大の伝説が屋外に設置された高さ約5メートルの「矢倉」。芸人がはしごで登って上からネタをやるが、客は真上を見上げる形になりまったく笑えない。ザ・パンチによれば「どーぼぼぼ」という登場フレーズもはしごを登っている段階でバレバレだったという。スタッフが一晩かけてのこぎりで矢倉を半分の高さに切り下げたが、それでも本質的な問題は解決しなかった。 ## 吉本プリンスシアター(2009年4月〜2011年11月、品川プリンスホテル内) タキシード姿の司会者が「ステージマーショー、どうでしょう」という口上でショーを進めるカジノのコメディショー風の空気が特徴的な劇場。川島は「ジャジーでムーディ、ちょっとカジノの合間のコメディみたいな雰囲気」と形容した。吉本初のアイドルグループYGA、タップダンサーのひでぼうさん、BMHらも出演し、「おにいやん」という呼称がこの劇場から生まれたと川島は証言した。川島が11時に訪れたところ自分たちの出番前にピラメキーの子供向け感謝ライブが行われており、「破裂音がするくらいウケていた」という思い出も語られた。 ## あげあげライブブームとM1転換 2008年ごろから渋谷・無限大ホールで始まったあげあげライブが2009〜2010年のお笑いブームを牽引した。しずる・ハンニャ・フルーツポンチはルミネの出番でも名前を出しただけで客席が沸く存在で、夏休みの安価なチケットで女子高生・女子大生が集まり、ピース、チーモンチョウチュウ、チョコプラ、シソンヌらが台頭していった。並行してダイナマイトバカソウル(2010年〜)では音ネタ・リズムネタ系の芸人が活躍し、KJのハゲラップがラッパー顔負けの煽りで人気を集めていた。しかし会社判断でしずる・ハンニャ・フルーツポンチはあげあげライブを強制卒業させられルミネへ移行。その後M1グランプリ重視の風潮が強まるなか、ザ・パンチはいち早く「これは違う」と独自路線を選択し、ピースも新ネタ投下の場として劇場を割り切り、吉村はタレント路線へと早期転換した。かつての無限大ホールは100本映画の劇場に転用され、ブーム絶頂期にも関わらず客が来ない状況に陥っていたと証言した。 ## この回の要点 - 2004〜2011年に吉本が展開した水族館・ゲームセンター・テント劇場・ホテル劇場といった異色のプロジェクトはネットに記録がほぼ残っておらず、当事者の証言のみが実態を伝えている。 - 新宿セブンキャンプシアターの5メートル矢倉は「客が真上を見上げて笑えない」という根本的な欠陥からスタッフが一晩でのこぎりにより半分に切り下げるという事態になった。 - あげあげライブのブームは会社による主要芸人の強制卒業とM1主義の台頭で転換し、その後の芸人たちはタレント路線・ネタ特化・劇場重視と各自で生き残り方を選んだ。