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【文化欄 #21】ダガー賞受賞作『ババヤガの夜』作者が登場。影響を受けた作品を明かす(ゲスト:王谷晶さん)

2026-10-22 · 36分 · 3分で読める

ミステリ小説『ババヤガの夜』で2025年にCWAダガー賞翻訳部門を日本人として初めて受賞した小説家・王谷晶さんが、作家になるまでの紆余曲折と創作スタイルの原点を語った。テレビが映らない北関東の田舎での登校拒否の子供時代、27歳での再上京、同人誌から「わらしべ長者」的に商業デビューした異色のキャリアが明かされる。

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この回が答えていること

  • 王谷晶さんが小説家を志したのはいつ、どんな理由からか?

    10〜11歳の頃、大学・就職・結婚という「王道のルート」が自分には見えないと気づき、一人きりで完結できる仕事として小説家を挙げた。「なりたい」というより「なるしかない」という感覚で、その確信は大人になっても変わらなかった。

  • 子供時代の読書・映画環境はどのようなものだったか?

    家はテレビ電波が入らない難視聴地域でVHSのみ視聴可。両親が元本屋のため本は大量にあり何でも読んでよかった。仙台の祖父がWOWOWの映画を片っ端から録画し送ってくれており、小学校に行かず暇だった時間にそれを見続けた。

  • 商業作家としてデビューするまでにどんな道をたどったか?

    18歳で上京するも22歳頃うつで帰郷。27歳でスーパーの1年バイトで貯めた10万円を持って再上京し、編プロのつながりやゲームシナリオの経験、同人誌をサンプルに編集者へ直接営業。電子書籍ブームの波に乗りわらしべ長者的に商業デビューした。

  • 王谷作品に海外文学的な雰囲気があるのはなぜか?

    高校の図書館でブレット・イーストン・エリス『レス・ザン・ゼロ』に衝撃を受け、ランズデール「ハップとレナード」シリーズにも傾倒。翻訳文体にも影響を受けており、北関東の田舎出身ゆえのアーバンなものへの強いあこがれが「海外かぶれ」の文章として昇華されている。

  • 王谷晶さんの創作プロセスにはどんな特徴があるか?

    まず舞台(街や建物)を頭の中で3D化・図面化し、そこから人物・ストーリーを展開させる。映像(映画的なショット)で物語を見ながら書くタイプで、世界設定を先に作る手法は二次創作文化(他者の世界に自分のキャラを置く)で培われたと本人も分析する。

「なりたい」ではなく「なるしかない」——10歳の覚悟

王谷晶さんが「小説家になるだろう」と感じたのは10〜11歳の頃だった。「大学に行って就職して家庭を持つという道筋が自分の前に全く見えなかった」と振り返る。王道のルートを歩けない自分に残る選択肢を頭の引き出しで探した末、「一人きりで家でできる仕事」として小説家に行き着いた。漫画家でもアシスタントが要り、映画監督なら何百人ものスタッフが必要だ。完全に一人で完結できるのは小説だけという認識は、その後もブレることがなかった。

テレビなし・登校拒否——映像と本に囲まれた子供時代

北関東の田舎に育った王谷さんの家には、難視聴地域のためテレビ電波が届かず、見られるのはVHSのみという環境だった。その代わり、両親がかつて東京で本屋を経営していたため家には本が大量にあり、何を読んでもよかった。

仙台在住の祖父はWOWOWに加入し、映画を片っ端からVHSに録画して分類することを老後の趣味にしていた。その大量のテープが定期的に送られてきた。小学校にほとんど行っていなかった(登校拒否)王谷さんは、その暇な時間に映画を次々と観た。これが映像的な描写力と、「世界を映像で構築してから書く」という創作スタイルの土台になったと本人も認める。

中学からは二次創作の同人誌を書き始め高校まで継続。個人サイトと「拍手機能」でやり取りする時代で、PIXIVが出始めた頃だった。短編「ベイビー・イッツ・オー・トーキョー」(収録:『君の6月は凍る』)はその時期の日雇い警備員・3畳のシェアハウス生活をベースにしており、「現実よりマイルドに書いている」という。

影響を受けた作品——菊地秀行からブレット・イーストン・エリスまで

幼少期に最初にハマったフィクションはアニメ版『トランスフォーマー』(初代)。コンボイ司令官のおもちゃをクリスマスに買ってもらったほどの熱狂ぶりだった。高学年になると朝日ソノラマ文庫などで菊地秀行の『バンパイアハンターD』などを読みオタクの道へ一直線。栗本薫、田中芳樹といった80〜90年代エンタメファンタジー作家にも親しんだ。

高校の図書館で出会ったブレット・イーストン・エリス『レス・ザン・ゼロ』(1985年)が大きな転機になった。ハリウッドの富裕層の若者たちが刹那的な生活を送る物語で、「栃木の貧乏人にとっては本当にショックだった」と振り返る。湿っぽくなりすぎず、バイオレンスも淡々と描く文体に衝撃を受け、その系譜にある作品を読み漁った。

18歳を過ぎた頃からはジョー・R・ランズデールのバディもの「ハップとレナード」シリーズ(角川から刊行)にも傾倒した。「原文ではなく翻訳の文体に大きな影響を受けている」と語り、王谷作品『君の6月は凍る』というタイトルとランズデール作品『凍てついた7月』の響き合いも、まんざら偶然ではないかもしれない。

27歳で10万円握って再上京——異色の商業デビュー

18歳で北関東から東京に逃げるように上京するも、22歳頃にうつ状態で実家に帰郷。「固い決意で出てきたのに数年で戻ってきた」という事実そのものがショックで、記憶にも残らないような生活を送った。

27歳の時に気持ちが上向き、近所のスーパーで1年間バイトして貯めた10万円を握り、仕事も住む場所も決めないまま再上京。ネットで探したシェアハウスに転がり込んだ。

商業デビューのきっかけは公募ではなかった。編集プロダクションのバイト経験やゲームシナリオの仕事でできたつながりを再上京後も活かし、「何でもいいから書く仕事はありませんか」と先輩たちに声をかけ続けた。同人誌を「これぐらいのものが書けます」というサンプルとして編集者に臆せず渡す営業を繰り返し、電子書籍の第一次ブームでオリジナルコンテンツの需要が高まった波にも乗った。一つの出版社とつながりができると、その仕事を見た別の出版社から声がかかる「わらしべ長者」方式で商業作家への道を開いた。

舞台の図面から始まる映像的な創作プロセス

ホストの岩井啓也さんが「大谷さんの小説は世界から作っているのでは」と問うと、王谷さんは即座に肯定した。「まず街なり家なりを頭の中で3D化して図面を起こし、決めてから書く。人物やストーリーはその後」というスタイルで、二次創作文化——すでに誰かが作った世界の中に自分のキャラクターを置く感覚——に長年親しんできた経験が土台にあると両者は分析した。

映像(映画的なショット)で物語を見ながら書くタイプで、「文章だけで浮かぶ人はどうやっているんだろう」と感想を漏らすほど。作品に漂うタブーの少なさ(バイオレンス描写、生々しい言葉遣いなど)については「海外文学かぶれ」と自ら笑いつつ、「北関東の田舎でアーバンなものへの強いあこがれがあり、そのフラストレーションを文章の中で晴らしてきた」と語った。

この回の要点

  • 10〜11歳の時点で「小説家以外の王道ルートが見えない」と自覚しており、なりたいというより「なるしかない」という感覚でキャリアを歩んできた。
  • 22歳の帰郷・うつを経て27歳で10万円を握り再上京、公募ではなく同人誌を営業ツールに使う異色のルートで商業作家になった。
  • 世界・舞台設定を先に3D化してから物語を作る創作スタイルは、二次創作文化と幼少期の大量の映画体験が組み合わさって形成された。

小説家ミステリダガー賞読書作家のキャリア

この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。