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歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO) · 歴史

【67-4】返事はまだですか?返事は?モンゴルからの国書と日本の判断【COTEN RADIO モンゴル帝国襲来編4】

2026-09-24 · 38分 · 3分で読める

1268年にモンゴルの国書が高麗使節を介して大宰府に届き、朝廷が「返事を送らない」という選択をした経緯を追う。モンゴルが日本に服属を迫った地政学的理由(南宋との硫黄貿易遮断)と、2度目の使者が持参した軍事脅迫へとエスカレートした国書の内容まで、文永の役前夜の外交攻防を詳述する。

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この回が答えていること

  • モンゴルの国書にはどのような内容が書かれており、どんな脅しが込められていたのか?

    国書は服属国の多さや高麗征服後の善政を誇示しつつ、日本が使者を送らないことを咎め、「早く交わりを結べ、聖人は四海を家とする、誰が好んで軍事力を用いるであろうか」という一文で軍事力行使をほのめかす脅しを込めていた。

  • 高麗はなぜモンゴルと日本の仲介役になることを嫌がり、どう抵抗しようとしたのか?

    高麗は日本を攻める動機がなく、モンゴルとの約30年の戦争で疲弊していたため仲介を嫌がり、博多の日本人交流施設を密かに破壊して交流の事実を隠すなど仲介回避を画策したが、クビライに見抜かれ結局責任を押しつけられた。

  • 朝廷はモンゴルの国書を受け取ったあと、実際に何をしたのか?

    朝廷は議論の末「返事を送らない」と決め、返書の下書きは作ったが印璽は押さず、代わりに22の神社・寺院へ異国降伏祈祷を命じるにとどまり、幕府も各地の守護へ用心を促す通達を出しただけだった。

  • モンゴルはなぜ南宋征服の前に日本の服属にこだわったのか?

    モンゴルの最大目標は南宋征服で、火山国日本産の硫黄が火薬の原料として南宋の軍事力を支えていたため、日本を敵国を支援する国とみなし、南宋包囲の前にその関係を断ち日本を取り込んでおきたかったから。

  • 2度目の使者が持参した国書は1度目と何が違っていたのか?

    1度目は「誰が好んで軍事力を用いるであろうか」という遠回しな表現だったが、2度目は「来年春までに臣従を誓えば高麗と同等の待遇を保障するが、さもなくば将軍に出撃を命じ軍艦で日本を制圧する」という直接的な軍事的脅迫に変わっていた。

高麗の板挟み:使者を日本へ連れていけ

クビライは高麗(コーライ)に対し、モンゴルの使者を日本まで案内するよう命じた際、「波が高いから行けないとは絶対言うな」とあらかじめ言い訳を封じて送り出した。高麗側は渋々案内したが、対馬沖で「ほら、これだけ波が高くて無理でしょ」と使者に見せようとして叱責された。

高麗には日本を攻める動機がそもそもなく、約30年間のモンゴルとの戦争で疲弊しきっていた。博多に残っていた日本人との交流施設(やかた)を密かに破壊して「日本と交流している事実」を隠そうとするなど、仲介を回避しようと画策した。しかしクビライにはすべて見透かされており、抵抗するたびに「高麗の責任で日本と交渉せよ」と仕事を押しつけられた。

モンゴル国書の内容:丁寧な言葉に包まれた要求

1268年、高麗使節のパンプが当時唯一の対外窓口だった大宰府に到着し、モンゴルの国書と高麗国王ウォンジョンの書簡の2通を届けた。

国書は「上天の恵みのもと、大蒙国皇帝が日本国王に申し上げる」と始まり、チンギス・ハン以来の服属国の多さを誇示し、高麗征服後に捕虜を返還したことを善政として記述する。核心部分では「日本は高麗と極めて近いのに、一度も使者を送ってきていない。おそらく状況を知らないからだろう。早く使者を送って正式な交わりを結べ。聖人は四海をもって家とするものだ。誰が好んで軍事力を用いるであろうか」と締めくくる。最後の一文が軍事圧力を暗示していた。

高麗国王の書簡はやや穏やかで、「一度様子見の使者を送ってみては。ただほぼ確実に服属させられると思うが」という老婆心まじりの内容だった。高麗が心から服属しているわけではないことがにじみ出ている。

日本の対応:無視と祈祷

国書を受け取った大宰府から朝廷へ報告が上がり、議論の末に出た結論は「返事を送らない」だった。下書きまで作られたが、印璽は押されなかった。この「回答を引き伸ばす」対応は、ペリー来航時に幕府が各藩の意見書を参考にしながら「確固たる回答をしない」と決めた構図と同じだと番組内で指摘される。返事をしない限り交渉を引き伸ばせる、諦めるまでお茶を濁し続けるという発想だ。

朝廷が実際に行ったのは、22の神社・寺院への「異国降伏祈祷」の命令だった。当時の人々にとって神仏の力は現代とは比較にならないほど現実的な手段であり、これが当時の「ファーストソリューション」だった。偶然にも京都の石清水八幡宮で神剣の袋がネズミに噛み切られる怪異が起き、「天下を震撼させる事件が起きる」という凶兆の占いが出た。翌年に内裏が焼失し、さらにその翌年にモンゴル軍が来航したため、「占いが当たった」と人々は震え上がった。

幕府は各地の守護に「モンゴルが服属を迫っている、急ぎ用心せよ」と通達を出すにとどまった。現代の軍事同盟なら「何時までに何を準備せよ」と具体的な指示が出るところを、「気をつけろ」という一言だけで終わらせた。封建制で直接指示権がなかったという事情もあるが、数百年にわたって正式な国交を持たず、本格的な対外戦争も経験していなかった日本の「対外認識の弱さ」が如実に出た場面だ。

なぜモンゴルは日本に服属を求めたのか

モンゴルの最大目標は南宋(中国南部)の征服だった。南宋と日本は活発な民間貿易を行っており、なかでも問題だったのが硫黄の輸出だ。火山国・日本産の硫黄は火薬の原料として南宋の軍事力を支えており、クビライには「敵国を軍事支援している国」と映った。

博多には宋商人が多数居住し、「博多綱首」(貿易集団のリーダー)として箱崎宮などをパトロンに活躍していた。著名な宋商人・謝国明は渡来僧・聖一国師のパトロンとなり、博多に承天寺を建立した。承天寺は「うどん・そば発祥の地」とされ、境内に碑が立っている。博多ラーメンのイメージが強いが、実はうどんの街でもある由来がここにある。

日本は冊封体制の外にあり、南宋とも国家間の正式な国交はなく、あくまで民間貿易だけが盛んな特殊な関係だった。クビライはこの関係を「同盟」と見なし、南宋を包囲する前に日本を取り込みたかったと考えられる。

2度目の国書:脅迫へのエスカレーション

1度目の国書を無視されてから約1年半後、執権に就任した北条時宗の治世に2度目の使者・金有成(キムウソン)が対馬へ到着した。名目は以前に拉致した対馬の島民2名の返還だったが、本命は国書の再送付だった。

2度目の国書の内容は一変していた。「来年春までに使者を送って臣従を誓えば高麗と同等の待遇を保障する。そうでなければ将軍に出撃を命じ、軍艦で日本を制圧する」と明記された。1度目の「誰が好んで軍事力を用いるであろうか」という遠回しな表現から、ドストレートな軍事的脅迫へと変わった。1度無視されたことで「丁寧に言っても通じないのか」と判断したのだろうと番組内では分析している。

この回の要点

  • 高麗はモンゴルと日本の板挟みで、仲介を避けるため博多の日本人施設を破壊するなど抵抗したが、クビライに見透かされて逆に交渉責任を押しつけられた
  • 朝廷はモンゴルの国書に対し「返事をしない」という引き伸ばし戦略を選び、実際に行ったのは22社寺への祈祷の命令だった——ペリー来航時の幕府対応と同じ構図
  • モンゴルが日本の服属を求めたのは、日本が南宋へ硫黄を輸出して軍事力を支援していたためで、2度目の国書では来春までの臣従か軍事制圧かという最後通牒に変わった

モンゴル帝国元寇鎌倉幕府中世日本外交博多の歴史

この記事は、配信音声の冒頭30分ぶんを機械で文字起こしし、それをもとに編集したものです。番組の公式な要約ではありません。正確な内容は本編をお聴きください。